『トレード』とは何か、という哲学
ここのところ考えていることは、トレードとは何かという根源的な問いかけだ。
・お金を稼ぐこと
・外国為替証拠金取引
・通貨交換して差益を得ること
・ギャンブル的興奮に興じること
・自らの手法の正しさを証明する行為
・自分自身との戦い
・資金コントロールそのもの
曰くとなぞれば百通りの答えが出てくると思う。こうした問いかけについて軽んじてきたつもりはないが、今の自分にとって大切な思考だと思うに至った理由は、ひとえに自分自身の馬鹿トレードを自戒するために必要なことだと思ったからだ。
これまでの成績を振り返ると、調子のいいときは月に1000pips近く取れた時もあればマイナスになることもあって、金額で3ヶ月連続で勝ち越すことがこの1年なかった。それでも2020年は大きく勝って小さく負ける事がたまたまできていたので収支はプラスだった。端的に3回に1回は負けるけど残りの2回でそこそこ勝ってたから生き残っていたに過ぎない。
それでも馬鹿なトレードはあった。大きく取れたあとに負けを繰り返して、せっかくの利益をことごとく減らすのが自分の過ちだった。
トレードするためには口座を開いて証拠金を入れて、しかるべき時に売買ボタンを押すだけでいい。誰にでもできる行為なのだが、それだけで済ませられないのがトレードという行為だ。そもそも「耳が悪いなら何も聞かなくてもできる金稼ぎをすればいいじゃない!」という開き直りから始めたFXなので、会社員生活を脱却して悠々自適に暮らして行きたいというのが目的だった。少なくとも自分自身のトレードをする目的をはっきりと認知していた。
そんな目的達成のため、最初は数万円の資金を口座に入れて1000通貨で取引を始めた。当時は移動平均線だけを当てにしてトレードしていた。いわゆるグランビルの法則である。しかしいつ利益確定すればいいのかもよくわかっておらず、時々MAの下にぐいっと差し込んできて損切りになることばかりだった。『波』という概念もなく、その大きさをイメージできるわけもなく、継続と転換もよく知らずにいたので、散々な結果になったのは言うまでもない。そこで自分は、これでは勝てないと判断した。
それから手法探しの旅の始まりだった。何はともあれ損切り注文だけは必ずやっておけという偉大なる教えは最初から実践していたものの、どんな手法があるのかはさっぱりだった。そこで書店を巡り、Amazonを漁り、手法がたくさん書かれている本を数冊買ったのが2018年の1月だった。色々あさってこれと思う物でやってみたが思うように行かず、その後なんやかとあって辿り着いたのがライントレードだった。なぜそこに至ったかというと、線を引くという行為がとてもシンプルに見えたし、複雑な計算式を元にしたものではないから、数学嫌いの自分にとって実に分かりやすかったのだ。
今にして思えばこれっぽっちも簡単ではなかったのだが、そのシンプルさは自分の性分に合っていたのは間違いなかった。「線を引く」という行為は、あちらとこちらを明確に分ける行為であったし、どこへ引くかという判断も100%自分の判断に寄るものだったので、全ては自己責任というドライさがはっきりしていて気に入ったのだ。こうして自分自身の判断と決断に全てを委ねる行為をはっきりと認めた。MAがこうなっているからこうなるらしいという曖昧さは、それがどんな計算によって成り立つのかも知らずに頼っていたに他ならない。
ライントレードをするにつけ、トレンドラインを覚え、水平線を覚え、チャネルを知って、フィボナッチを知って、チャートパターンをたくさん目の当たりにした。移動平均線もある固定の値を用いて、自分なりにこの時間足でこの数値を用いることの根拠を持つようになった。
・あなたの手法は何ですか?
そう問われたなら、ライントレードと答える。しかしここにもトラップがあった。ライントレードはエントリ手法ではなく分析手法だったのだ。
ラインタッチ際の反応を見定める行為なのだ。ラインで反発し、あるいは超越した時の値動きのパターンを読み取りエントリするというのが、自分のトレードの手順だった。ラインを超えたらその押し目戻り目を待ってからエントリする。あるいはライン際でのローソクの値動きを持ってエントリする。
自分はライントレーダーではなく波形トレーダーなのだと気づいたのは、2020年の1月だった。ライン際における値動きの形成をパターン化して、その後の値動きの可能性に賭けるのが自分のトレードだった。だからパターンが見えた時は強く自信を持てたし、チャート上にパターンが見えないときは無力感に襲われて自分が何も手にしていないように思われた。
自分にとってのチャンスは値動きが既知のパターンを形成する時だった。しかし自分が波形トレーダーと認識するまでの間、たくさんのチャートパターンを見て来たし、一般に認知されているのか分からない自分なりの捉え方も蓄積されていったからパターンの数が膨大になっているのだった。それゆえに勝率のいい時と悪い時の差とは、パターンの成否率そのものに直結する。
ここで重要なことは値動きのパターン化というのは、いかようにも定義づけられるという点だ。波の性質を考えてみればなんてことはない。寄せては引くのが波だ。上がったら下がるのが波だ。真理がそれ1つしかないならば、あらゆる値動きは波に収束してしまう。上がって下がったから次は上がると思ってしまう。大きな波で動いているから次も大きく動くと思ってしまう。トレンドができた後に調整が入ったから次もトレンドが生まれると思ってしまう。
それらの正しくも誤った認識がいつも間違いを誘発する。
上がって下がって、もう一度下がってから上がることがある。
大きな波の後には余波があって、再びさざ波から本波にうねっていくことがある。
トレンドができた後の調整で反転すればトレンドは転換していく。
いつも大事なことを見失う。シンプルなはずの波は、その実たくさんの情報を詰め込んでいる。1+1が2になるのに必ずしも1と1でなくてもいいことを忘れてしまう。
買いで入るとき、売りで入るとき、それは順張りなのか逆張りなのか、それとも天底からの反転を狙ったものなのかをどれだけ強く認識してトレードしていたのだろうか。どれだけのリスクリワードを想定していたのか、どれくらいのパターン成否率だと思ってエントリしていたのか。
手法が大事、メンタルが大事、資金コントロールが大事。何度も何度も目にして耳にして、頭で唱えてきてもその真理がずっとわからなかった。わかっているようでわかっていなかった。
本当のところは、自分が今していることを正しく認知するだけでいいのだ。はっきりと、自分はこういう根拠でこんな考えで、こんなリスクを取ってトレードするのだと認知することだ。
勝てるときと負けるときの違いはトレードする瞬間の自己認知の差だ。ダメだと思ってもエントリしてしまうのは、それがたとえ間違ったエントリであったとしても、心のどこかに小さな根拠1つが存在してしまっているからだ。
最も大事なことは根拠があるかないかではなく、その根拠の強弱を見定めて、一定の水準以上の時だけトレードすることにあったのだ。それがトレードの真髄だと思った。
根拠の有無ではなく、根拠の強弱によってトレードせねばならない。
その強弱という指標をどうにかして自分の中に確固たる判断基準として構築することがトレーダーにとって大事なことだと考える。
従ってトレーダーは、どんな手法かよりもインジの数値設定よりも、メンタルコントロール(思考整理)よりもマインドセット(精神規律)よりも資金コントロールよりも、自己指標を正しく構築しなければならない。
根拠の有無ではなく、根拠の正誤ではなく、根拠の強弱こそが最も大事な要素であり、その強弱のバロメーターが一定以上に振れた時だけトレードをすればよい。
負けるのはその指標ができあがっていないからだ。
ではどうすればその指標を作ることができるのか。簡単だ。統計を取ればよい。トレードノートをつければよい。トレードノート(振り返り)の目的がこれで明確になった。
一つ一つのトレード根拠を明らかにし、その根拠毎の勝率を出せば良い。
ノートの目的が曖昧になっている人はいないか。トレードの振り返りを目的にしているはずなのにうまく続けられないのは、目的が間違っている。時刻や通貨ペアをせっせと記録して振り返るのが目的じゃない。振り返って何をするんだ。馬鹿なトレードをしたと反省するのが目的じゃない。ここからエントリすれば勝てたと、たらればを妄想することじゃない。いくら勝っていくら負けたかは大した問題じゃない。トレードした事実によってのみ統計を取って自己指標を作り上げることが目的だ。
・・・どうにも自分はこうした自己哲学のようなものを構築しなければ前に進めない性分だった。1年の始まりにこうした問いかけを自分自身に課して、一定の答えを出せたことは幸いだった。今年の抱負として掲げられるのではないかな。
『トレード』とは何だろう。今一度、そんな基礎的な問いかけを自分にしてみるのもいいじゃなかろうか。
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